幸せの定義とは?幸福になるために知っておきたいたった1つのこと

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「幸せの定義とは、貢献感である。」と、この単純な定義が、書籍「嫌われない勇気」の中で断定的に書かれていた。

幸せとはなんだろう?どんな時に幸せを感じるだろう?こうした疑問は多くの人が持っているのではないだろうか?

本日はこの幸せ(幸福)の定義について記事を書いていこうと思う。

幸せの定義「貢献感」とは

書籍「嫌われない勇気」(225ページ目)には、下記のようなことが書かれています。

人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないこと。この現実に対しアドラーは、すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれる。=他者貢献

あなたの貢献が役に立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献できたかなど、原理的にわかりえない。「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいい

本の中では、貢献感を持つことが、すなわち幸せ(幸福)なのだと断言していますが、中には「?」と、違和感を感じる人も居るでしょう。少し難しい表現が使われていますし、理解するのが難しいですよね。

文中にある「共同体」とは、ひとつの例として「家族」に例えると分かりやすいです。「わたしは共同体にとって有益である」を言い換えると、「わたしは家族にとって有益である」となります。

例えば、奥さんを休ませてあげるために、小さな子どもを連れて公園に行く。この行動には、いつも育児で大変な奥さんを数時間でも休ませてあげられ、かつ子どもを喜ばせてあげられるという二つの貢献があると感じられます。

こうした貢献感を得ることで、自分の存在価値を感じられます。自分の存在価値を感じられれば、自分のことを好きになるでしょうし、幸せを感じることができますよね。

この時に、奥さんがゆっくり休め喜んでいる、子どもが公園で遊べて喜んでいるかどうかなど本当のことは分からなかったりします。ですが、自分で奥さんと子どもに貢献したという思い(貢献感)が幸せな気分にさせてくれるのでしょう。

承認欲求で得られた貢献感には、自由がない

貢献感について考えると、こんなことを思う人も多いと思います。それは「貢献感を持つために、他者から承認を求める」ということです。

例えば、仕事をがんばって会社や上司から認めてもらうこと。家事や育児を手伝って奥さんに認めてもらうこと。などです。

ですが、こうした他者からの承認を求めることについて本では以下のように書かれています。

貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、結局は他者の望み通りの人生を歩まざるをえません。承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。われわれは自由を選びながら、なおかつ幸福を目指す存在なのです。

もし、ほんとうに貢献感が持てているのなら、他者からの承認はいらなくなります。わざわざ他者から認めてもらうまでもなく、「わたしは誰かの役に立っている」と実感できているのですから。承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚を持てておらず、自己受容や他者信頼、他者貢献ができていないのです。共同体感覚さえあれば承認欲求は消えるのです。

この内容は個人的には納得するものでした。私の人生のテーマは「自由に生きる」です。自分に嘘をつかず、自分の時間を生きることを目的としています。この自由を奪われた瞬間に、私は幸せではなくなるでしょう。

例に挙げた、会社や上司から認められるために仕事をすることは、自分の大切な人生の一部を会社や上司のために使うようなものです。仕事が好きで好きで仕方がない、結果的に会社や上司から褒められ認めてもらうなどであれば結果論ですし、別に良いでしょう。

しかし他人からの承認を求めることを目的に、自分の大切な時間を使っていては、本当の幸せ(幸福感)は得られないということです。

本の中では「自由とは、他者から嫌われること」と書かれています。合わない人、付き合いたくない人、嫌いな人、関わりたくない人、こういった人たちのために自分の時間を使うなんて無駄です。所詮は他人です。嫌われてもいいのです。

他人がどう思うかはその人の課題であり、自分には関係のないことです。自分は自分に嘘をつかず、自分の時間を生きることは幸せを掴むひとつのコツなのです。

なんのために私は働いているのだろう?なんのための私は生きているのだろう?

お金とビジネス

ここからは私の過去の話をしていきます。私は過去にパニック障害を患い、1年ほど仕事をすることができないという状況に陥りました。

この時は精神科に通いつつ、とにかく自己分析を行っていました。最大の治療は自己を知ることにあると思っていたからです。そんな中、考えたことが、「なんのために私は働いているのだろう?」「なんのための私は生きているのだろう?」というふたつの大きな疑問でした。

何ヶ月も考え、結果行き着いた答えは「貢献すること(誰かの役に立つこと)」でした。

この答えを見つけてから私は仕事においても自由になることに執着し、やりたいことより先に、やりたくないことを明確にしていきました。やりたくないことを含む仕事では自由は得られません。自由がなければ幸せになれないと思っていたからです。

ちなみに、やりたくないことの中でダントツだったのが、対人関係です。特にアフターサポートなどは仕事において面倒なのでやりたくないことリストNo.1です。人との関わりは持ちたいが、面倒は避けたい。対人関係においてはこれを実現させることが当面の目標でしたね。

こうした目標のおかげもあって、いまでは仕事での人間関係による悩みは一切ありません。合わない人とは付き合わない、合わない客とは付き合わない。私は自営業ですので、たまに「仕事断りずらくないですか?」と聞かれることがありますが、断ることに対抗はありません。断ると判断することは私の課題であって、相手がどう思うかは相手の課題です。仕事を断られたからといって恨みを持つような人だとしたら、なおさら関わらなくて良かったと思えますしね。

今となって思えば、「なんのために私は働いているのだろう?」「なんのための私は生きているのだろう?」このふたつの疑問は、「自分の価値」につながるものであると気づきました。自分に価値があるから、幸福感を得られる。まさに今回の「幸せの定義は、幸福感である。」について納得のいくことなのです。

答えが見つかるまで何ヶ月、自分の中で腑に落ちるまで何年とかかりましたが、このことに気付けて本当に良かったと思っています。

さいごに

私は「幸せの定義とは、貢献感である。」と見た時に「?」が頭に浮かび理解に苦しみました。ですが、よくよく考えてみると「?」が「なんるほど」に変わり、自分の中に落とし込むことができたのです。このことを根底に置き、考え、行動することで幸せを感じられることが多くなったのは言うまでもありません。

今回の内容は、書籍「嫌われる勇気」(250ページ〜255ページ)の内容について私なりの経験や意見を付加して記事にしました。

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